矢野博丈(ダイソー社長)の経歴や年収は?妻や子供や家族とは

こんにちは、エムです。

いつもとっても頼りになる
100均のダイソーの商品ですが、
最近は、ちょっとおしゃれなものが
増えてきているので
足を運ぶのが、とっても楽しみです。

大創産業の社長の
矢野博丈(やの・ひろたけ)さんは
とっても苦労人で、悲観的な
考えの中で経営をしているのだとか。

経歴や年収、妻や子供など
家族も気になります。

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矢野博丈(ダイソー)社長の経歴は

ダイソーでおなじみの大創産業の
2016年3月期の売上高は3,950億円となっています。

店舗数も拡大し、国内には3,000店の店舗があります。
海外店舗の多く、オーストラリアやメキシコをはじめ、
世界26カ国に1,500の店舗を出店しています。

★株式会社大創産業の会社概要★
設立 昭和52年(1977年)12月
代表者 代表取締役 矢野博丈
資本金 27億円
売上高 3,950億円(2016年3月現在)
店舗数 国内 … 3,000店舗(2016年3月現在)
海外 … 26の国と地域、1,500店舗(2016年3月現在)
事業内容 ダイソーのチェーン展開
営業品目 ダイソーオリジナル商品
ダイソー企画商品
主要取引先
イオン、イズミ、イズミヤ、イトーヨーカドー、西友、天満屋、東急ストア、
東急不動産、平和堂、フジ、三井不動産、ユニー、その他大手量販店(五十音順)

矢野博丈さんは、五男として生まれたことから
旧名は栗原五郎だったそうです。
奥さんとの学生結婚の時に
現在の「博丈」に改名しました。

奥さんの苗字である
矢野のほうが、覚えてもらいやすいことから
苗字も変えたそうです。

妻の実家のハマチやフグの養殖業を
継いでいましたが、うまくいかず3年で倒産し、
700万の借金をかかえてしまいました。

その後は
百科事典のセールス、ちり紙交換、
ボウリング場勤務など9回物転職を
しました。

1972年、移動販売業を開業し
100円均一の手法を生み出します。

常に、会社はいつ潰れるか分からないと思いながら
経営してきました。
変化も激しく、企業の寿命30年説ももっと縮まっていると
感じているそうです。

★矢野 博丈さんのプロフィール★

生まれ年:1943年

出身地:広島県

出身大学:1967年中央大学理工学部土木工学科(夜間部)卒業

経歴
妻の実家の養殖業を継ぐが失敗、借金を抱え転職を繰り返す。
1972年、100円均一移動販売を手がける「矢野商店」創業。
1977年、大創産業設立。
1987年100円ショップのチェーン展開を開始。

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矢野博丈(ダイソー)社長の年収は

2012年の社長の年収ランクでは
矢野博丈(ダイソー)社長の年収は、
1億円で、全体の14位でした。

おそらく、現在は、1億円以上になっていると思います。

今までも努力をして、ここまで
大きな会社となりましたが、
年を取ったら、さらにそれ以上の努力をしないといけないと
思ったそうです。

自分の考えでは、及ばないところも多いので
若い人社員たちの意見をどんどん取り入れて
任せているのだそうです。

たいてい、ある程度、会社を大きくした自負がある
経営者は、自分よりも若い人の話をまともに
聞かない人が多い中、とても謙虚で
素晴らしいですよね。

悲観的な考えが、根底にあるからこそ
いつも危機意識があるのだと思います。
苦労もしてきたからこそ
言葉にも重みがあります。

矢野博丈(ダイソー社長)の妻や子供や家族とは

矢野博丈社長は、学生結婚で妻と一緒になり
養殖業のビジネスをしていましたが、
ちょうど失敗したころに、息子さんが生まれました。

子供と妻と一緒に、借金を抱えて
夜逃げをしたそうです。

奥さんやお子さんたちが
ずっと支えてくれているのですね。

テレビ出演の時に、思わず
涙が溢れてしまったのは、
ご家族のことに話がおよんだことで
辛かった思い出が蘇ったのでしょうか。

お金持ちぽくない感覚があるからこそ
100均の商品は、庶民の味方なのかもしれませんね。

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