加島祥造の息子や妻は?家族を捨てた理由とは

加島祥造の息子や妻は?家族を捨てた理由とは

詩人の加島祥造さんが、92歳でなくなりました。
老衰によるものだそうです。

詩集「求めない」でベストセラーになり
孤高の詩人のように言われていました。

加島祥造氏が、しがらみから逃れて、出ていったことで
息子や妻である家族は、どんな思いだったのでしょう。

加島祥造氏の経歴などを辿ってみましょう。

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加島祥造氏の経歴

1923年に生まれた加島祥造氏は、英文学者で翻訳などを
手がけ、詩人でもあり墨彩画家でもありました。

早稲田大学英文科卒業した後に
カリフォルニア州クレアモント大学院留学します。

信州大学、横浜国立大学でアメリカ文学を教えていました。
主な翻訳としては、フオークナーの「サンクチュアリ」
「八月の光」などがあります。

1947年に田村隆一氏や鮎川信夫氏らと詩誌「荒地」に参加しました。
主な詩集は、「晩晴」「放曠」「離思」や
新川和江さんとの共著「潮の庭から」などがあります。

晩年は、伊那谷で詩と画作の暮しを営みます。

加島祥造の息子や妻や家族は?

加島祥造氏は、定年前の60才で、
横浜国立大学英文学教授を退官して、
家族を捨てて、家を出て行ってしまいます。

妻の利子さんは、身心の病を抱え、長いこと、苦しんでいるそうです。

当時、18歳だった次男の息子さんは、今では
翻訳編集者の仕事の後、
銀座でギャラリーバーKajimaを経営し、
母を支え続けているとのことです。

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加島祥造氏が家を出て行った理由は?

加島祥造氏が家を出て行った理由は、何だったのでしょうか。
女性問題だったのでしょうか。

確かに女性にも、モテていたこともあったそうです。

亭主や父親、大学教授あるいは翻訳家を一人前の社会人として務めようと思ったわけ。

だけど、55のときにやんなっちゃったんだよ。

というように、女性関係が原因ではなかったのではないかと
思われます。

加島祥造氏が、60歳過ぎに出会った老子の思想(タオイズム)は、
宇宙の働きのままに生きる思想だそうです。

人生は、○△□と変化していくもので
生まれた時は、○で
学校で競争など教えられると△になり
そして、社会に出て、組織や形式や地位にはめられて□になってしまう。

□のなかでに、古いと書けば固くなって、心が固まってしまいます。

詩人である、加島祥造氏は、心が固まっていく自分に気付き
たまらなくなってしまい、いつまでも○で、自分のありのままを
追及したために、結果として、家族を捨てたのではないでしょうか。

捨てられた家族としては、たまったものではないですが
詩人としての加島祥造氏の考えに触れると
何もかも捨てないと自分を保てなかったのだろうなとも思います。

でも実際の生活は、お手伝いさんなり
誰かの助けを借りて、生きていました。

さらに、80過ぎてから出会ったドイツ人の女性とは
自分の全てを受け入れてもらえたそうです。

何もかも悟ったような感じではなく、自分の弱さがあることも
自分で受け入れているその姿が、魅力的でもあるわけです。

いつまでも、子供のようにフラットに、感じたままに
生きることができたのですから、
とても幸せな人生だったのだろうなと思います。

息子さんも年齢を重ねたことで、父親のそんな気持ちが
少し理解出来たのかもしれません。

ただ、奥さんだけは、時間が止まってしまい
もしかしたら、取り残されてしまっているような感じだったら
とても気の毒でなりません。

家族であっても、関係性って変わって
しまうものだということを認識していないと
いけないのかもしれないと思ってしまいます。

だからこそ、良い関係を築くために
努力が必要なのでしょう。

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