赤塚りえ子の旦那と父と母!もう一人の母も

赤塚りえ子の旦那と父と母!もう一人の母も

赤塚りえ子さんは、バカボンやおそ松くんなどの
天才漫画家である赤塚不二夫さんの一人娘です。

現在は、株式会社フジオ・プロダクションの
代表取締役社長です。

父である赤塚不二夫さんの漫画だけでなく
生き方全部が、漫画以上に面白く
赤塚理恵子さんの旦那さんや母についてご紹介します。

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赤塚りえ子さんの旦那

赤塚りえ子さんは、東京生まれで1965年生まれで
現在、50歳です。

1994年イギリスに行き、2001年ロンドン大学ゴールドスミス校
ファインアート科を卒業しました。
現代美術家として活動しています。

赤塚りえ子さんは、37歳の時、33歳の英国人男性
ジョン・レイトさんと結婚
されています。

旦那さんは、赤塚りえ子さんが、留学の時
英語の先生をされていたのだとか。

実は、1984年の24歳の時に
アルバイト先で知り合った新入社員と
結婚していましたが
1992年に離婚しています。

赤塚りえ子さんは、
離婚する前から英国のエレクトロニック音楽に傾倒し
英国へ住むことを考えるようになったそうです。

離婚をきっかけとして
留学することを決めたのかもしれません。

イースト・ミドランド地方にある都市ダービーで
アートを学び
大学に進み、現代美術家になります。

英国の永住権を取得していましたが
赤塚不二夫さんの二番目の妻の
赤塚眞知子さんが亡くなったことで、急遽帰国して
フジオ・プロ社長となりました。

赤塚りえ子さんは、赤塚不二夫さんの最初の妻
登茂子さんとの間に生まれました。

でも、不思議な事に

二番目の妻の眞知子さんとは
母登茂子さんも一緒に
仲が良かった
ようです。

赤塚りえ子さんの母

母登茂子さんは、赤塚不二夫さんの漫画の
アシスタント
として手伝っていました。

当時爆発的ヒットになった六つ子の「おそ松くん」は
奥さんのアイデアもあって
生まれたと言われています。

でも、天才赤塚不二夫さんは
仕事がうまく行きだすと
毎晩、飲み歩き、
女性問題でも色々あったようです。

人を喜ばすことが大好きだった赤塚不二夫さん。

ギャグマンガでもわかるように
バカになることで、精神的な自由も求めていたところも
あったようです。

そんな赤塚不二夫さんを支えた奥さんと
一方的に
離婚をしてしまいます。

赤塚不二夫さんは、登茂子さんと離婚して13年後に
14歳年下の
スタイリストだった眞知子さんと再婚します。

赤塚不二夫さんが酒におぼれていることを
心配して、なんと
登茂子さんが、再婚を勧めたのだそうです。

赤塚りえ子さんの母は、アシスタントもしていた
くらいですから
赤塚不二夫さんの漫画家としての
素晴らしさもわかっていたのでしょう。

赤塚不二夫さんを支えてくれる眞知子さんに
同志の様な感覚をもったのかもしれません。

とても奇妙な関係ですが
天才赤塚不二夫さんのことを
大切に思っていた
のですね。

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死ぬ時も優しさに満ちているって

赤塚不二夫さんは、晩年倒れて
ずっと意識不明のまま入院生活でした。

再婚した妻の眞知子さんは、とても明るく
看病を続けていました。
ところが、呆気無く病気で亡くなってしまいます。

その後、登茂子さんも亡くなり
登茂子さんが、亡くなったことがわかったように
3日後に赤塚不二夫さんは、亡くなりました。

妻たちは、赤塚不二夫さんを支えて
赤塚不二夫さんが亡くなることを知らずに
亡くなっていったので、ある意味幸せ
だったと思います。

でも、一番ショックだったのは
残された娘のえり子さん
でしょう。

呆然としているその時に
救ってくれたのが、

父である赤塚不二夫さんが書いた
ギャグマンガだったそうです。

ナンセンスな笑いが
生きる希望を呼び起こした
そうです。

皆に愛された赤塚不二夫さん。

弔辞では、タモリさんが白紙の紙を
読んでいたと話題にもなりました。

亡くなってもなお
赤塚不二夫さんのまじめにバカになる
精神が生き続けている
ようですね。

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